ブレイブルー、マジック:ザ・ギャザリングを中心とした、対戦格闘ゲームやカードゲームに関するお話をするブログ。
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2024年7月21日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part18 オンラインとオフラインの良さ │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。


地域対抗戦で得たもの

対戦格闘ゲームのプレイヤーの出会いはどんなゲームでも面白いもので、ゼクスの場合も例に漏れずこういうことをしていなければそんな事態にならんだろう、というような出会いを様々に楽しんでいた。

2014年。
前回記述した地域対抗戦の翌年のこと。家庭用を利用した大会はこの頃あちこちで頻繁に行われていた。
当時ニコニコ動画内における自分のコミュニティでも開催することが多く、そこで、再びあのレリウス使いと出会った。
今や知らない人は居ないであろう、もけもけさんである。
静岡勢として地域対抗戦に参加したレリウス使い。彼とはCPからの仲である。

彼以外にも静岡勢でよく話をするようになったプレイヤーが居る。
ツバキ使いのぴくりさん。
ハザマ使いのヒトトセさん。

彼らと出会ったことによって、更に対戦の幅が広がり、ネット対戦を謳歌することになる。
そんな彼らに加え、CSEXから知り合いになった九州(※厳密に言うと当時山口県に棲んでいたはず)のキョンさんとも交流が深くなったのはこの頃。

ゼクス・ぴくり・キョン・もけもけ
この四人でチームを組んで大会に出ることもあり、快進撃を続けていた時期でもある。

skype(懐かしすぎる)で話をしていた時、ふとこんな話をしていたのを今でも思い出す。

ゼクス「そういえばさ、俺九州に旅行言ってみようと思うんだよね。九州って言っても、福岡だけなんだけど」
もけもけ「えー!なんで言ってくれないの?」
ゼクス「言ってくれないも何もw」
ぴくり「俺らも行くわ」
ゼクス「何その行動力!?!?」

てな具合で、まさかの福岡現地集合。

2014年9月。
ゼクスの一人で福岡旅行は、まさかの複数地域からの遠征旅行へと変わったのである。
(※ぴくり、もけもけ、キョンとはまだ一度も会ったことがない)
この状況下で、気軽に集まることのできるゲームセンターという場所が、どれだけ重要か。
それを、改めて噛み締めることになった。

1日4食のラーメン。
観光も対戦も楽しみ、げろしゃぶ氏とも初対面(顔がうるさいのはこの頃も今も同じ!)。
それだけではない。
ハクメン使いのGacktさん、ラグナ使い(この時は; ;)であった達郎さんとも初対面となった。

あまりにも楽しすぎる福岡旅行。
観光も食事も、そして趣味も楽しめる格ゲープレイヤーは、他の人達よりもちょっとお得ではないかと思えた一幕であった。(ネカフェ、この時初めて使いました)

格ゲーが基本的にオンラインでの対戦が主軸なのは、そもそもゲームセンターという場所自体が全国各地で少なくなっていることが理由の一つだと思います。
それに、100円入れてわざわざ対戦するなんていうこと自体が古い考えになりつつあるのかなぁと思うんですが、ゲーセン育ちである鳴海からするとちょっと寂しい気も。
オンラインもオフラインもどちらかが必ずしも一番ではない、と思った一幕がこの福岡旅行です。

オンラインでの出会いがあったからこそこういう楽しみができた、というレアなケースではあるかもしれませんが、イベントがあればどこかで集まって話をすることができる。
そんなことを気軽にできたのは、オンラインでの対戦ができるメリットを最大限活かした結果だと思いますし、オフで気軽に会えるしわいわい盛り上がれるオフラインの良さも知っているので、皆さんには是非どちらも楽しんで欲しいなというのが鳴海の率直な思いです。



CP1.1では、ひたすらに自身でイベントを開くという昨今の鳴海を知っている人の形態にかなり近い状態になりつつありました。
イベントを開き続けた結果様々な方と出会うことができましたし、それは今でも変わらず楽しめています。

あまりにも短いCP1.1編。
次回より、CPシリーズラストとなるCP2.0編開幕。お楽しみに!





2024年7月2日火曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part17 ゼクスから鳴海への転換期 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。


ゼクスから鳴海への橋かけ

全国大会後、『ブレイブルー クロノファンタズマ』の家庭用が発売。 ネット対戦を行う中で、有名プレイヤーと対戦する機会もどんどん増えていきました。
ネット対戦だけではなく、ニコ生を利用して配信を行うことで大会やその他イベントを行い、更に交流が生まれていく。
その中で、たまたまガリレオさんの配信にお邪魔したときのお話。

ガリレオさんは後にアークレボで優勝するレベルのトップライチ使いとしてご存知の方もいらっしゃることでしょう。
今までのネット対戦含めほぼ対戦したことがなかったため、勇んでプレマ部屋に突入。
放送中ということもあり、こがたんさんも同じ部屋に居り、同じく対戦をしていただきました。
ニコ生は皆さんがご存知の通り、視聴者はリアルタイムでコメントをすることが可能です。 誰かはもう忘れてしまいましたが(もしくは知らない方)、ゼクスラグナが対戦中にこんな感じのコメントを残していました。

「今度小説を出版する鳴海先生じゃないすか!」

プレマ中だったし、今みたいにおおっぴらな発表をしていなかったこともあって、それには触れないようにしていました。
ここまでの物語であまり語っていませんでしたが、この頃鳴海は小説を出版することになり、この年の12月に念願の一冊目が発売されることになりました。
そんな鳴海=ゼクスのことをガリレオさんとこがたんさんは掘り下げていただき、あれこれと質問をしてくれたのです。 更には後日パワポでわざわざプレゼンまでしてくれるという異例の事態に。

この頃から、小説の宣伝も兼ねてプレイヤー名を『鳴海悠一』にすることが増えていきました。
ですが、完全に名前を切り替えたわけでなく、気分で変える程度だったので今のように名乗るまではもうちょっと先のお話。
ここまで読んでくださった方は「17話目にしてようやく名前変わり始めたじゃん」って思うかも。
この名前が生まれたお陰で、更にたくさんのプレイヤーに出会えるようになったのは事実。
この様な体験ができたことを考えると、変えて良かったのかも?しれません。

クロノファンタズマ家庭用地域対抗戦

ニコ生主としていろんな大会に参加したり、自分で大会を開催するようになったのもこの頃。
あれこれ交流するうちに、全国各地のプレイヤーとの繋がりがどんどん増えていきました。
家庭用が発売したことで北海道勢にも提案されたのが、家庭用を活用してのオンライン地域対抗戦です。
10名のプレイヤーを選抜し、4つの地域で強いのはどこか? というのを競うもので、こうしたイベントに参加したのは初のこと。

当時参加した地域は北海道、愛知、静岡、熊本。
それぞれの地域で代表を決める方法は自由であったため、北海道勢は大会を数回行い、上位10名を決めるというものでした。 最終的に参加することになったメンバーは下記(補欠込み)。

・ゼクスラグナ
・のぜハザマ
・イカメンアズラエル
・げんぶプラチナ
・おとおとノエル
・みょんたニュー
・ジークバング
・卜全ヴァルケンハイン
・ジョニーアズラエル
・たぴゅkアズラエル
・キョージュカルル

今考えるとこのメンツはヤバイ。よくここまで集まったもんだ…。
CSEXまでの北海道蒼勢は、明らかに本州のプレイヤー達と実力差がありました。
ですが、CPになりのぜ&てぃーあいが優勝する頃には全体レベルが上がり群雄割拠となっていたのを覚えています。
ある種、この頃が一番全員バチバチと火花を散らせながら対戦していたと思うのでそういう面白さもありましたね。同じ地域でありながら全員が優勝目指してめちゃくちゃアケで対戦した頃です。

さて、イベントの初戦は愛知勢。 コイケさんのライチや辻川さんのタオカカなどが跋扈する、これまた魔境。最後の顛末だけ記憶からすっぽり抜けてて思い出せないんすけど、ゼクスラグナはコイケライチ、カルル使いの方(すみません名前覚えておらず)を倒し、その後辻川タオカカに負けたってことは覚えてるんですが、チームとして勝ったんだったかがあまり覚えてない状態で。

続いては静岡。
序盤の方で連勝を進めていたゼクスラグナに立ちはだかったのは、とあるレリウス使いであった。
そのまま勢いで倒せるかと思いきや、あまりにも強力すぎる防御の前に敗北。だが、チームとしては最終的に勝利。

最後に熊本。
げろしゃぶ氏(現ナカシマプロ)率いる10人のメンバー。。
最初の相手はヴァルケンハイン。北海道勢はおとおとノエル。
ヴァルケンに敗北し、とりあえずラグナだしいけるだろうってな具合でゼクスラグナが出場。
そこから勝ちに勝ち、ゼクスラグナが一人で熊本勢を倒す快挙。
流石にこれは気持ち良すぎるドヤ顔。周りから「もう負けろよ」くらいのセリフが流れていたが、お構い無しで勝手に気持ちよくなってました。


かくして、地域対抗戦は北海道勢の優勝という結果で終了。
普段は敵対しているメンバーが味方になると、ここまで心強いと思ったシーンでしたね。
確かどっかにこの頃の写真が残っていたような。
この時期から、通っているゲーセン問わずみんなの交流が盛んになっていったので非常に楽しかったです。

最凶の悪夢

時は2013年12月。
新たなキャラクターがブレイブルーに参戦。
ココノエ。
このキャラクターを待ち望んでいたプレイヤーは非常に多かったはず。しかし、そのキャラクターにどれほどの仕打ちを受けるか、などは考えてもみなかった。

強力無比なキャラクター達との対戦は、CTからシリーズを通して対戦してきたゼクスにとっては、そう驚くことではなかった。
が、このキャラクターはあまりにも強力すぎた。
ハメあり、ダメージあり、無敵あり。
とにかく、強さに強さが重ねられ続けたキャラクターと言っても過言ではない。
「お前のブレイブルーをやってきた数年はココノエの10分に等しい」というワードが出てくるほど。
ゼクスもそのワードに当てはまる一人となり、粉砕され続けた。

あまりにもココノエが氾濫し、かつそれに負けることが多くなった負けず嫌いのゼクスは、いよいよ『強いキャラに乗り換える』を実行しようとしたのだ。
ラグナじゃ勝てない。コイツに勝つのは無理だ……。
そう諦め、ココノエを練習し始めた。

やはりココノエの力はやはり圧倒的。
何十戦とランクマを行っても、容易く勝ててしまう。今まで味わったことのない高揚感。軽々しく、ろくに攻めを考えずともハメていれば勝てる。通常技も強いから苦労しないし、逃げの手段もある。
しかし、100戦を超えた瞬間から、自分がダークサイドにどっぷりと浸かっていることに気付いた。

「この勝ちに、意味はあるのか?」

ふと我に返ったようにココノエを使っている自分に冷め、あまりにも虚しく思えたのだ。
これで勝ったところで、自分にとっての楽しさにはならない。

ちなみに断っておくと、「強キャラを使うな」などと言う気はまったくありません。
要するに、「好きなキャラを動かすのが楽しさに繋がる」という比重が鳴海の場合は大きいだけで、強いキャラを使って勝つのもまた正義だと思いますので、それを否定しようとはまったく思いません。対戦して面白いかどうかは別ですが。

つまるところ自分が一体何が楽しくてブレイブルーをやっているのか?
それは、『ラグナ=ザ=ブラッドエッジ』というキャラクターが好きだから対戦をしてた。
ただ、それだけだったのです。
自分が勝ちたいというのは、あくまでラグナを使っての勝利であって、それ以外のキャラを練習したとしてもすぐに飽きてしまう。2024年になっても変わっていないので間違いなさそうです。

どんなに負けてもラグナを動かせるならそれでいい。
改めてキャラクターをラグナに戻し、黙々と対戦を続けていったとさ。



なんてなことで、CP1.0のお話はここまで。
次回、超絶短いCP1.1編。
お見逃し無く。

2024年4月21日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part16 決戦のゆくえ │ Narumi's BlazBlue History



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ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。


秋葉原Heyでの戦い

新千歳空港から羽田。モノレールに乗っていざ首都東京。
東京の地へ足を踏み入れるのは三度目のことであった。
(東京へはライブで一度大学時代に遊びに来てました。もう一回は就活の一環で。)

この時、ジークさんの師であるヴェルサス先生のご自宅にお邪魔することになったので、秋葉原ではなく池袋へ。
本番の数日前から乗り込んでいたため、旅行を満喫しつつ(浅草はいいぞ……。)、夜はゲーセンで対戦という贅沢な時間の使い方。
鳴海悠一著、『メールライン』の出版元である“文芸社”本社を訪ねたのもこの時である。 (※この話を入れたのは後々多大な影響があるため)

東京でがっつり対戦をしたことがなかったので、自分の実力の物差しは家庭用しかなかった。
動画で見ていた世界の人々と対戦するというのは、札幌と言えども地方のプレイヤーであるがゆえに、通用しないのでは?という懸念がありました。
ですが、実際に対戦してみるとしっかり技が通る。そりゃ何十連勝もできるとかそんな次元ではありませんでしたが、動画で見たことのあるプレイヤーや、噂に聞く有名プレイヤーと対戦しても勝ちを取りに行くことができたというのは非常に大きな経験でした。
動画で観ていた、ということでどこか「この人には絶対に勝てない」などと勝手に思っていた部分が、実際に対戦をしてみると自分の腕がちゃんと磨かれていたことの証明になったのです。

このことが大きな自信となり、ニコニコ生放送コミュニティであれこれ大きなイベントを開催し、Youtubeでの『鳴海の部屋』での放送へと繋がる経緯の基になっているなと。
ちなみに、こがたんさんとでんぽさんに初めてお会いしたのはこの時の野試合が初でした。
お互いハチャメチャにラグナを押し付けあっていたのは、最高のワンシーンとして心に残っています。

初、全国大会参戦

いよいよ本番当日。ついにこの時がやってきた。
初戦はRYOさんのレリウスと、会長さんのイザヨイでした。
相手のメンバーを見て決めたと言うより、勢い的に自分が先に出た方がいいだろうということで、ゼクスラグナが先方で出陣。対する相手は会長さんのイザヨイ。
この時、生放送で対戦が映されており、札幌のプレイヤー何人が見ていたかはわからないが、この晴れ舞台でいつも通りの動きはできていたと思います。
執拗な中段とディバイダー。
その甲斐あってか、先方戦はゼクスラグナが勝利。
大会での勝利、普段の野試合では味わえない程にめちゃめちゃめちゃ気持ちよかったです。
大将同士の対決はミウジンvsRYOレリウスの対戦。
圧倒的人形力で、RYOさんの勝利。

その後、先鋒大将戦でゼクスラグナvsRYOさんのレリウス。
正直レリウス戦はLeo.さんと対戦していたので自信はあったのですが、敗北。。。

悔しさよりも楽しさが押し寄せてくるなか、同じ北海道枠で勝ち上がっていた”のぜ&タヒチ”ペアの動向を見守ることに。

彼らは、ゼクスなんぞとはまったく違った。さくさくと勝利を収め勝ち上がっていき、気付けば決勝戦まで進んでいる。強すぎ……。
そして、ゼクスはそこで“見た”。 のぜハザマが6Aから蛇翼のコンボルートを決めてしっかり勝つ様を。
北海道勢には衝撃的で、今後長く語られるであろう、のぜ&タヒチペアの優勝
あまりの嬉しさに、その夜タヒチ亭でお酒を呑みすぎて帰りが地獄であったのはこれまたいい思い出である。(※ミウさんもグロッキーになり、新千歳空港に到着してからも、二人はベンチでしばらく動けなかった程。いやー、若い。

自分はまったく結果を出せず、のぜとタヒチは有終の美を飾った。
その場にいた誰もが思っていたことではあると思うが、同じ北海道勢であり大会に参加していたゼクスは、“自分がそこに居れたら…”という悔しさが徐々に押し寄せてくる。

確かに、全国大会という舞台は大きな経験になった。
それによって得たものもたくさんある。
それと同時に、この舞台で勝つことがどれほど難しいかを痛感させられた時でもありました。この経験、本当に貴重なものです。



次回、CP家庭用発売編。お見逃し無く。


2024年4月16日火曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part15 新しいブレイブルー、新しいプレイヤー │ Narumi's BlazBlue History



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ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

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ようこそクロノファンタズマ


2012年冬。
札幌で非常に珍しいことが起きた。
新作ゲームとの縁もゆかりも無かった地で(言い過ぎ)、ブレイブルーの新作ロケテストが行われた。
狸小路のタイトーステーションにて行われ、普段見たことのないプレイヤーが続々と参加していた。
その期間とたまたま休みが重なったゼクスは、早速ロケテに参加。
新しいラグナのデッドスパイクは、ソルのガンフレイムの如く地面を這い、コンボパーツとして欠かせない存在になった(※CS2以降もそうだけど)。いやはや、CTと比べると出世しましたね本当に。

そして何より! システムボイスがシリーズで二番目に好き!(※CFを含んでも)

そんな体験を経ての稼働。
ブレイブルー クロノファンタズマ

これまた初日に休みが重なり、以前のシリーズ程やる気もなかったんですがとりあえず対戦しにゲーセンへ。
すると、CSEXの頃とは段違いにプレイヤーが参加していたのを今でも鮮明に思い出せます。
この中でnovuさんのアズラエル、アッチャマーさんのハザマと対戦したのが特に印象的でした。やっぱりみんな、新作を待っていたんだという勝手ながらの共通認識を持てたなと感じ、その賑わいに内心喜んでいました。
お昼になると休憩中ののぜハザマが現れ、新たなハザマでも無双し始めた。これも忘れられないんですよ。ぐぬぬ。

「コイツはやはり壁になるのか…。」

これまで散々煮え湯を飲まされてきたので、そろそろ引導を渡してやりたいと思いながらも悲しきかな、敗北。



時間は流れ2013年。
社会の闇に喰われたゼクスがたまにマキシムへ行くと、見知らぬ面々がよく対戦していました。CSEX時点でブレイブルーシリーズもこれで終わってしまうのかなぁという雰囲気がありつつ、どちらかというとギルティギアの新作が出るということもありなんとなーくプレイヤーが分散してしまう時期だったかもしれません。
ですがこのCPでは、CSEX終盤でスガイに居たげんぶさんを筆頭に数々の新規プレイヤーがバリバリと対戦していた。
最初は貯金で戦い勝利を収めていたゼクスラグナであったが、CPのラグナに馴染むほど対戦はできておらず、徐々に負けるようになってくる。
いつもなら負けて悔しさのあまり対戦しようと挑むのだが、その気力さえ社会の闇はゼクスの精神を喰らった。恐ろしきかな社会。

しかし、ある時期を目処に次の会社へ行くことを決意したあたりから、再びゲーセンでの対戦を主軸として休日の時間を使うようになっていきました。
徐々にのぜハザマを倒せるようになってきたゼクスラグナは、対戦を録画してそれを見ながらあれこれ喋るという、感想戦を申し込んだのです。この頃くらいから、今まで勝手に敵視していたのぜさんとは交流を持つようになった気がします。

約3年程してようやく喋ることになるという、ゲーセンらしいコミュニケーション。

動画を投稿すると、少なくともCSの頃よりはお褒めの言葉が多くなっているあたり(とは言っても失笑を買うことの方が圧倒的に多い。)、少しは成長したようにも思えます。
こうした練習もまた、次のステップへと大きく影響を及ぼすことになったのは間違いありmせん。
その大きなステップが、次の一大イベントだったのです。

Braver's Revel 2013


新たな全国大会の開催が告知され、北海道の枠はなんと2つに。
今までは1つしかなかったのに、北海道だけで2つも枠が貰えるとはなんとも奇跡的なことでした。恐らく、それくらい当時の札幌ブレイブルー界隈は盛り上がっていたという証拠でしょう。
相方探しをしようとするも、ぼっちラグナとしてぽつんとしていた頃(もう大体のメンバーが決まっていた)、奇跡的にお声掛けをいただくことに。

なんとこの声掛けに応じてくれたのはCTから対戦していただいていたミウさん。
ラグナジンによる兄弟コンビにてチーム結成。
千歳タイトーステーション予選、狸小路タイトーステーションの二つがあり、ゼクス&ミウ組は最初に行われる千歳タイトーステーション予選に参加。

そこでなんと、なんとなんと! 大会にて優勝!!!

前半はゼクスラグナが奮戦し、決勝でミウさんがきっちり大将の仕事をしてくれました。
まさにチームでの勝利!!

CTからブレイブルーを続けていたラグナ使いが、約4年の時を経てようやく全国大会に参加することになったのです。
この時の嬉しさは生涯忘れることは決して無いでしょう。それと同時に、師匠へ心から感謝しました。あまりにも嬉しくて朝まで全然寝れないという体験をしたのは今まででこれくらいかと思います。

初の全国。まだ見ぬプレイヤーに思いを馳せ、ゲーセンでの練習に励むゼクスであったが、果たして結果は……!



次回、CP全国大会編。お見逃しなく。


2024年2月11日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part14 CSシリーズ最終章 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

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2011年12月。
3on3で初めて一緒に優勝したゼクス・ジーク・LEO.の3名。
このメンバーで当日を迎え、大会に参加する、はずであった。
あまりにも思いがけない当日になってしまった、学生時代最後の体験談。



これが学生時代最後の大会




ゼクスが2012年4月より社会人として生きていくことになっていたため、学生として参加する大きな大会はこれが最後となる。
社会人になってからシフト制の仕事であることは決まっていたし、こういった大会にもあまり参加できないのだろうと思っての参戦。
師匠にも、「これが区切りのブレイブルーになると思います」とある種伝言のような言葉を残してきたのもまた、これから起きる出来事へのメッセージだったかもしれない。

当日、遠征の人が居るという状況下で、野試合は非常に盛り上がっていた。
その中で、相方の一人が足りない。
ジークさんは居たのだが、LEO.さんの姿が見当たらなかったのだ。
連絡が取れるジークさんに話を聞いてみると、現在LEO.さんは帰省中で、ギリギリの時間に現れるという。

「そうか、後で来るのか。」
と思い、気にせず野試合をしていた。
体調も対戦もバッチリなコンディション。後は相方が揃って、大会に臨むだけであった。

だが、時間が進んでも相方が現れない。
天気を調べてみると、どうやら悪天候。
それが相まってか、出発が遅れているとのことであった。
嫌な予感は的中するのもので、「来れなくなるのではないか」と思っていたことが実現してしまった。

相方が一人欠けた状態での出場。
ぶるれぼは一人からの出場が可能であったため、二人でもエントリーはできた。
だが、心にぽっかりと穴が空いたような状態。

いつものゼクスだったら「一人で全員倒してやる」という気概があった。

だが、この時は虚勢を張れても、対戦は悲惨なものであった。
LEO.さんは基本的に大将を務めることが多く、チームがどれだけ窮地に陥っても救ってくれる役割を担っていた。
先方で勢いのあるゼクスラグナ、中堅にどっしりと構えるジークバング、誰が来ようと必ず勝ちを拾いに行くLEO.レリウス。
このチームを応援していくれていたプレイヤーは他にも居て、LEO.さんが参加できないと知ると、辺りがまるでお通夜ムードになったのを今でも鮮明に思い出せる。

周りのプレイヤーからは、あれだけ熱意を持って練習してきたのに……。という残念でしかないという声がちらほら。
思わず涙しそうになりながらも対戦したが、チームが一人欠ける、ということの重みをこの時初めて知った。
チーム戦というのは、単純なプレイヤーの実力を足していくものではない。
相互に作用しあって、更に大きな力を発揮していくもの。

チーム戦の楽しさを知ることができたのは、この”ぶるれぼ”があったからこそである。

大会が終わった後、なんとか札幌に到着したLEO.さんは我々みたいに暗く重い表情は特に見せなかったが、心底参加したかったと思っていたに違いない。

この記事を見ている最近ブレイブルーを始めた人は、機会があれば是非とも参加してみただきたいです。
チーム戦は、本当に楽しい体験ができると思います。参加する機会があったら参加してみてください。



CPになってからLEO.さんが本州へ行くことになってしまったため、もうブレイブルーであの三人のチーム戦はできないんだろうな、と考えていた。
でも、今でも一縷の望みを持って練習に励んでいる。

いつかまた、あの三人で大会に参加できればいいな、と。

現時点(2024年現在)では非常に厳しそうなところではありますが、こうして鳴海はブレイブルーを続けているし、LEO.さんはギルティで引き続き活躍している最中。
ジークさんはあまり格ゲーをやっていないものの、たまに対戦してもかなり強いのでどうして腕が衰えていないのか不思議なくらい。

一緒に戦える日は無いかもしれないけど、そんなことがあればいいなと、ふとたまに思うことは今でもあります。



最後の節目




社会人になると、趣味に取る時間が極端に少なくなりました。そりゃそうなんですけどね。
目標にしていた大会優勝もおざなりとなり、とりあえず始めたニコ生で軽く対戦をする程度で。
(※北の万事屋という生放送コミュニティができたのはこの時から。これも一応必要な出来事だったなと。この頃から知っている方は、未だにゼクスさん呼びの方が多いですよねw)

家庭用でのらりくらりと対戦していると中、一つの悲しいお知らせが舞い込んできた。

GAME41の閉店

過去記事で記載した通り、GAME41は自身で優勝したいと思ったゲームセンターの1つでした。
ゲームセンターが無くなる、ということを体験したのはこの時が初めてであった。
今の御時世ゲームセンターの経営なんて難しい。なんてことが言われながらもなんだかんだで続いているし、無くなることもないだろう。
そう思いながら、毎月ある大会も準優勝になっても「次があるからなんとかなる」と思っていた。
その”次”が来ることは、一生無くなってしまったのだ。

ブレイブルーの大会に出てから目標であった、『GAME41での優勝』。
準優勝は悲しきかな、二桁台に入るくらいあったというのに、優勝したことは一度も無かった。

2012年9月30日。
GAME41閉店イベント。

この日、ゼクスは働いていた。
ただただ、普通に働いていただけであった。

その時は、「まぁ、ゲーセンが無くなるのはしょうがない」なんて強がっていたもんだが、その後見たGAME41での集合写真。
この写真を見て、悔しさと悲しさがこみ上げてきた。

自分がここに居られなかったという悲しさと、優勝が二度とできなくなってしまったという悔しさ。
やりきれない気持ちのやり場を、この時はどこへ持っていけばいいのかがわからなかった。

ゲームセンターという場所が、例え世間体では悪く見られても、集まって楽しんでいた人たちからするならば、そこは思い出の場所になる。
それを学ばせてくれたのは、他ならぬゲームセンターでした。



NEW HOPE




CSEXの後半、あまりにも立て続けに悲しみに暮れそうな出来事が多かったのだが、新世代に橋かけとなったお話がラストになる。

仕事が休みだったので、久々にスガイへと足を運んだゼクス。
すると、いつもの見慣れたメンバーの中で見知らぬプラチナ使いが居た。

スガイに顔を出せていなかったから知らなかったが、この人はきっとつい最近ブレイブルーを始めた人なんだろうな、と思った。ジークさんはどうやらその彼を知っているらしく、情報をいくつか聞いた。
あまりゲームセンターでは対戦したことがなく、家庭用で多少やった程度だと。

だが、この時の彼の動きは既に特徴的であり、練習さえ積めば自分を超えることなど容易いだろうと思った。

対戦が終わり、用事があるため撤退。
その時「頑張れよ」と声をかけたのがどうにも印象的だったらしく、後に本人からは「あの時のゼクスさんはですね!!!(以下略」などと熱く語ってくれるレベルである。

このプラチナ使いが後に北海道一対戦回数が多くめちゃめちゃやり込んだ強豪プレイヤーになるとは。
更には、全国大会にチームを組んで出場するようになるなんて、この時のゼクスが思うわけもなく。ほんと人生わからないもんです。



楽しさや悲しみを経て、長かったCSシリーズはこの年で最後となる。
次回からはいよいよクロノファンタズマ編がスタート。



2023年12月30日土曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part13 思いがけないチームメイト │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



ブレイブルー レボリューション 2012


CSEX稼働後、早い段階で公式大会開催が告知された。
それが、『BLAZBLUE REVOLUTION』。
レギュレーションは3on3。

チーム戦は、当然ながら一人でどうこうできるものではない。
斡旋でチームを組むことができるのは、普段ゲームセンターで行われる大会形式だからこそ。
公式大会になると、誰かメンバーを誘わなければならない。
それまでのゼクスは、チーム戦で誰かを誘うということはほぼしなかった(ような気がします)。
知り合いが決して居なかったというわけではないのだが、「チーム戦であっても一人で全員倒せばいいじゃん」をコンセプトにしていたので、誰と組んでも同じだろう、くらいに斡旋でいつも参加していました。今思うとかなりな尖りっぷり。

実質的にランダム制でのレギュレーションしか味わったことが無かったゼクスは、この公式大会開催の話を受けても、あまり高ぶることはありませんでした。

「今回の大会は見送りかなー」

そんな風に思いながら、スガイでCPU戦をやっている最中。
左側から、怪しげな二人組がこちらへと歩み寄ってきたのである。
黒い帽子を被った男と、高身長の怪しい男。

(なんだ!?俺をどこかへ売り飛ばす気か!?)

マフィアに拉致されるのではと畏怖したが、片方はよく見知った顔であった。
そして、もう一人はゼクスアロウンをボコボコにした人物であった。(※part12参照)
プレイヤー名は、"LEO."さんである(※現 IBUSHIGIN ギルティプレイヤーのLEO.さんです)。

「ゼクス、ぶるれぼで組まない?」

LEO.さんからまさかの誘い。
特に誰とも組む気が無かったゼクスだが、まぁいいやくらいな気持ちで「いいっすけど」と返事をした。いや、実は内心かなり嬉しく思っていたかもしれません。
※断ったらどこかへ拉致られると思ったとかゲーセン裏でボコボコにされると思ったとかそんなことはない。

これはあくまで後日残ですが、ジークさんに聞いたらこんな感じの流れだったらしいです。

ゼクス「あの時ってどうして俺誘ったの?」
ジーク「俺とLEO.はチーム組むの決めてたんだけど、もう一人誰にするか迷ってたんだよ。そしたらLEO.が『スガイにヤベーやついるからそいつ誘うわ』って言ったんだよ」
ゼクス「マジかよw 俺は完全にヤクザに囲まれたと思ったw」


練習の日々~3on3にて


チームが決まった後、チームメイトの練習量は尋常じゃないものであった。
例えスガイにジークさんとLEO.さんしか居なくても、延々と二人で対戦する。そこで途中からゼクスが混じって対戦。
自分もかなり対戦していた気になっていたが、二人の対戦回数に比べればまったく少ないと言ってもいいレベルであった。

CSEXの家庭用発売は12月17日とかなり早く、ぶるれぼに向けた練習を家庭用でもできるようになった。
だが、アーケードでの大会はあくまでゲーセンの筐体を利用するため、ゲーセンへ通うというのは必須であった。

2011年12月25日

マキシムにて固定3on3が開催されることになった。
CSEX稼働後に、一度ゼクス・ジーク・LEO.にて3on3大会に参加したことがあるが、takeさんのアラクネに処理され敗退している。
(※takeさんはCS2よりマキシムで猛威を奮った強豪プレイヤーの一人。
アラクネで全国出場レベル。ヤバイofヤバイ。)

日付がクリスマスであることなんざ気にせずブレイブルー。
その日、決勝まで初めて上り詰めた三人の相手は、いすけさん、みょんたさん、みうさんの三人。
なんという札幌ギルティトリオ。

先鋒戦はゼクスVSいすけヴァルケンハイン。
ここは辛くも勝利するも、続いてのみょんたラムダに敗北。
次鋒のジークバングが出ると、みょんたラムダ・みうジンを二縦しての優勝。

これが、3on3チームでの初優勝であった。
この日がクリスマスであることはすっかり忘れて、人生で忘れられないクリスマスになった日であることは、今後の人生においても笑って話せる出来事です。

終わった後、近くのサンマルクでその喜びを存分に語った。
チームとしての雰囲気も実力も向上している中、本番であるぶるれぼを迎え撃つはずだった。
しかし、本番で予想外な事態が起きてしまう。




次回、サヨナラCS編。お見逃し無く。



2023年12月6日水曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part12 劇的な対戦 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



新たなバージョンが稼働し、更に強化されたラグナ。
その力は意図も容易く7000ダメージを出せるほど。
そんな時代の、ゼクスラグナのお話をする前にちょっと寄り道。

ブレイブルー コンティニュアムシフト エクステンド
バージョンとしては第四弾目となる今作。
(※アーケードはCS2のアップデートとして発表されたため、この名称は厳密に言うと家庭用版)
稼働は2011年の秋。
このCSEXのお話をする前に、少しばかり違うゲームのことも混ぜながらお話がありますのでそちらから。



『アクアパッツァ』でも対戦による出会い




CXEXの稼働開始から遡ること数ヶ月前、『アクアパッツァ』という対戦格闘ゲームがアーケードで稼働。

新作ゲームということでとりあえず触ってみたゼクスは、近年では珍しい硬派な(その時の感想であって、実際やるとすんごい)感触を気に入り、ほんの少しブレイブルーを離れることになりました(離れる、と言ってもまったくやらないことはありませんでしたが)。

ゲーセンに行けばアロウンというキャラを使い対戦しまくり。
ブレイブルーの経験も相まってか、連勝することができて相当気持ちよくなっていました。
いわゆる、格ゲーにおける”勝ち方”というもの自然と身に着けていたんだと思います。
・ガードを崩すために、どういった攻防が必要か?
・無敵技を盾にして、相手にどう読み合いをしかけるか?
等です。

しかし、このゲームにおいてアロウンというのは弱小キャラであり、上位のキャラであるリアンノンとはお話にならないレベルの差があった。
今思い出しても苦い顔をしてしまうくらいの埋められないその差を、あまりにも面白くないと感じたからこのゲームを辞めた。というのは一つの理由でしかありません。
本質的に、アクアパッツァを辞めた理由は別に2つありました。

北海道格ゲープレイヤーで知らない人は基本居ないであろう、ゆうさんの“このみ”というキャラに還付なきまでボコボコにされたのが1つ目。
2つ目は、アロウン同キャラ戦の連敗。

ブレイブルー以外でも、マキシムには腕の立つプレイヤーが多く集まる場所として知られ、実力に自信があればある程そこで対戦したいという欲が生まれるのはゲーマーの性質。
アクアパッツァにおいてもスガイでそこそこ勝てていたゼクスアロウンが、どこまで対戦できるかというのを試しに行きました。

そこに居たのは、一人の高身長プレイヤー。
その人物と話をしたことはなかったけど、GAME41の大会に赤いハザマで参加していたプレイヤー、ということだけは知っていた。

アクアパッツァで使っていたのはゼクスと同じくアロウン。アシストこそ違うものの、同キャラ自信アリだったゼクスは意気揚々と乱入。
だが、やれどもやれども勝てない。
当時学生だったということもあり、お金を減らしすぎないためにも数回負けたら終了、という観点からあまり連コインすることは避けていた。

なんてことを普段考えているくせに、この日は他に誰も居なかったし、同キャラで負けたという悔しさから連コイン。

「勝った、ようやく勝った……」

勝ちをもぎ取った。2000円を犠牲にして。

同キャラで勝つのに野口英世を二人も葬らなければならなかった。
この事実が、ゼクスアロウンの最後を迎えるにあたり十分なファクターであったことは間違いない。
20回も挑まないと勝てない時点で、道一アロウンになることは厳しい。
もちろん、ブレイブルーの時のようにやり込めばその差を縮めることはできるのかもしれないが、このキャラに対してそこまで愛着が無かったゼクスは、とうとうアクアパッツァをプレイすることを辞めてしまった。

対戦が終わった後に挨拶しにいくと、彼はこう言った。

「いい昇龍だった。面白かったわ、またやろうね」

アクアパッツァによる、””との出会いが、今後の運命を分けることになる。
茫然自失で帰宅したゼクスが、知る良しも無い。



プレイヤー減少を目の当たりにし始めた時期




さて、話は戻りブレイブルーへ。
CSEXが稼働したその日は、いつものようにバイトの休みを取って朝から対戦を行った。
だが、その朝は想像していたような光景ではなかった。

誰も居ない。

これはこれで練習し放題なのだが、対戦が起きないレベルでガラッガラであった。
CS2の頃であれば、暇になることがないレベルでプレイヤーが居たのだが、誰も居なかった。
すぐに他の面々が現れたが、キョージュさんとジークさんくらいなもんで、見慣れた人しか来なかった。

稼働日の溢れんばかりに居るプレイヤーをなぎ倒すのが楽しいのに、その楽しみが無くなってしまった。

コンティニュアムシフトというバージョンが新しくなるだけで、完全新作じゃないと人は来ないのだろうか?もうブレイブルーに飽きてしまったんだろうか?

みんなしてこんな話をしていたわけだが、このバージョンが、ゼクスにとって大きな節目を迎える……。



次回、ぶるれぼ参加編!お楽しみに。



2023年11月12日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part11 徐々に天狗になっている頃 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



特に何も変哲のない一日の中で


当時のスガイで、ブレイブループレイヤーのトップを目指していたゼクスは、大会で優勝を経験したり、野試合をしても一日20連勝することが日課に近い状態になっており、完全に天狗状態であった。
イキリゼクス時代と呼んでも過言ではないこの時期。
この時に出会った男。それが後にチームを組むことになるバング使いのジークさんである。

ある日、マキシムで野試合をしていました。
スガイを拠点として腕を磨いていたが、たまにはマキシムで自分の実力がどれほど通用するのか確認の意味でも遊びに行くことも。
そこで、あまり見たことのないバング使いがCPU戦をしていたのです。
PSRは自分と同じくらい。(※当時PSR160ちょっとくらい。段位で言えば、赤段の22~23段くらい?である。それでちょっと強くなった気になっていたのだから、おめでたいもんである。)
バング使いはスガイにもおり、基本的に負けることが非常に少なかった。
そりゃもうバング戦自信ニキのラグナ使いとして、負けるはずがないと思っていましたよ。

コンボや立ち回りでは、
・6B、ハーデスを振れば大抵の相手には勝てるでしょ。
・たまに投げを混ぜるのが良い。
・無敵技当てろ!!!!!
というのが主軸の頃でした。
そりゃPSR160くらいですよね。

100円投入し、対戦がスタート。

が、

敗北

心の中で「は?そんなバカなはずあるか?」と思い対戦を再度しかけようとするも、当時の鳴海は近所のスーパーでバイトをしており、その日も夜からのお仕事があった。
とはいえ、負けず嫌いのゼクスラグナがここで引き下がるわけにもいかない。
ネシカをかざす時間すらも節約し、絶対に勝ってその場を去ってやろうと思っていたゼクスであったが、二度目の敗北。
普段はあまり味あうことのない妙な敗北感のまま、ゼクスはその場を立ち去った。
(※後日、本人から話を聞いてみると、「PSRを守りに来たこざかしいラグナ」だと思われていたらしい。当然である)

小物感を全力で出し切った男は、一つの大会に出ることを決めた。
それは、当時まだ開催されてた『闘劇』という全国大会であった。
(※アルカディアというアーケードゲーム冊子を刊行していた会社による全国規模の大会。この大会優勝を目指して何人のプレイヤーが練習に励んでいたかは、格ゲーの歴史的に見ても想像を絶するものがあった)

2011年の闘劇に選ばれていたブレイブルー大会であったが、レギュレーションはチーム戦ではなくシングル戦。
当時、地元では「大会やるならチーム戦の方が盛り上がる」という意見が多いこともあり、この大会に対してあまりモチベが上がらないという噂を聞きつつも、千歳のタイトーステーションで開催された予選へ足を運びました。

ゼクス的には「腕試しにはいいだろ」くらいな気分で参加。
もし、万が一もしも通ったら快挙なので、当然負けようという気はさらさらなかった。
だが、当時の千歳予選のレバーが非常に相性悪く(数人厳しいと言っていたが、それでも優勝者は卒なくコンボをこなしていたので語る資格が無い。)、一回戦で敗北。

帰ろうとすると、そこには帽子を被った全体的に黒の印象が強い男が居た。
マキシムで対戦したあのバング使いである。
ゼクスとしては、普段どこで対戦しているのかという情報収集を兼ねたスキンシップを取ってみることに。
まともに口を聞いたのは、この日が初めてとなる。
最近札幌に来ることになったとか、元々はギルティをやっていたとか、道中色んな話を聞いた。
初対面の人にもこうして気軽にトークをできる性格でよかったと思えた場面でもあった。

札幌に戻ってくると、普段対戦しているスガイへ。

大会を通じ、格ゲーを通じ、人との輪が繋がっていくことを楽しいと思えたのはこういうシーンに立ち会えていたからこそ。
この日から、このバング使いとの付き合いは長いものとなりました。

あまり長くならず、あっという間に去りしCS2


CS2は対戦回数で言えばかなりのものであったが、バージョンとしては長く続くことはなかった。
続いてのCSEXが登場するまでの間、スガイでジークバングと一生対戦している日ばかりが続きました。ここまでアーケードで同じプレイヤーと対戦する、というのは久しぶりなもので、大学の友人以来それ程までに対戦できる相手ができたのは本当に久しぶりでした。

CT編を読んでいただいた方にはおわかりかと思いますが、ゼクスラグナの知識というのは、基本的にしたらば掲示板か、ニコニコ動画にアップされる対戦動画からでした。
動画で見ているプレイヤーが目の前に現れるなんて思っているわけもなく。
いつもどおり普通に対戦していたら、見覚えのあるプレイヤーネームのラグナが入ってきたのです。それも、使っているカラーまでまったく同じ。

後に、五井へお邪魔する時大変お世話になったかきゅんさんが、札幌へ遊びに来ていたのです。
2,3戦をするうちに勝利すると、ひと目もはばからず大声で「やったああああ!!!!」と叫ぶ始末。(※かきゅんさん、その節は大変失礼いたしました)
その後は何度対戦するも敗北。
敗北するよりも、動画でいつも観ていたプレイヤーと対戦できるというだけでも自分としては非常に嬉しかったのを覚えています。
この感覚、たまに放送で言われる機会があり「あぁ、昔自分もこんな感じだったなぁ」とほのぼのしている裏話を置いときます。

対戦格闘ゲームでは同キャラという対戦があまり好まれないものですが、ゼクスは(鳴海になってからも)同キャラ戦がめちゃめちゃ好きです。
「三度の飯よりラグナ戦が好き」と放送で言っていた通り。

かきゅん氏もラグナを使っていたので、そりゃ叫びたくなるくらい嬉しかったんですよ、ええ。
そんな出来事があったり、スガイとマキシム、GAME41を往復しているうちに、今では遊ぶのが普通になった面々との出会いがあったりと、交流の幅が大きく変わっていた転換期のように思えます。

たまにλ使いと対戦する機会があったが、後にMTGでがっつり遊ぶことになる小戸野さんとの初対戦はこの頃だったはず。
厳密に言えばその前から対戦していたような気がしないでもないですが。
そしてスガイではハクメン使いのちめぴさんがブレイブルーをやり始めた時期でもありました。ほんと懐かしい。

短期間で次のバージョンが発表されたCS2ですが、次のバージョンでは更に過酷な体験をすることになります。



次回、CSEX編へ突入!

2023年11月1日水曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part10 やっと知った大会での”優勝” │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



ブレイブルーもついに3作目。
2010年12月、『ブレイブルー コンティニュアムシフトⅡ』が稼働。
スガイのトップを目指し、ラグナの練習を続けていたゼクスラグナにいよいよ転機が訪れる。


『ネシカ』の登場



新たなブレイブルーが稼働した当初、対戦格闘ゲーム界で初めての出来事が起きていた。
ネシカ』という、ネットワークを通じて戦績が残るサービスがスタート。

ゲームセンター側はこのゲームをダウンロード配信にて入手するため、いちいち基盤を購入するという行為が不要になった
地方にとっては非常にありがたいお話かと思いきや、甘い話だけで終わらないのが悲しいところ。
1クレジットに対して通信費が発生するため、昔のゲーム基板よりも薄利になってしまうというデメリットが生じてしまう。
これだけとは勿論言わないが、ネシカによる最新ゲームの稼働が常用化されることによって、閉店するゲームセンターが徐々に出てきたというのはまた別のお話にて。

ここからはプレイヤー視点。
ネシカがあることによってプレイヤー情報を保存することができ、プレイヤーネームが自由に設定できることになったのは非常に新鮮だと思えました。
このおかげで対戦相手の名前を覚えることが簡単にできるようになりましたし、大会に普段参加していない人も覚えられるというメリットがありました。
自由に称号も設定でき、後には公式大会に参加、もしくは優勝すると限定称号が貰えるようになったり。
ちょっとばかりの楽しさが、当時の我々にとっては非常に新鮮でした。

さて、CS2稼働日。この日は休みを取り、朝一番で対戦スタート。
ゲーセンの階段を朝から駆け上がり、新しいラグナに思いを馳せわくわくしながら100円入れたいと思いながら開店を待つというのはなんとも楽しいひとときでした。
早速対戦を開始。そこそこ実力のついたゼクスラグナは連勝に連勝を重ね、続々来る来訪者をなぎ倒していく。
倒せる相手が非常に多くなったことに感動しつつも、やはり成就したいのは大会優勝。
スガイでCS時代大会をやっても、優勝するのはGAME41で優勝するような面々ばかりで、自分が上位に行くことはできませんでした。
今度こそは、今度こそは……!と執念を燃やしていたゼクスがついに……!


来る某日。
日付は正確に覚えていないんですが、スガイにてシングル大会が開催された日。
この日対戦した面々で記憶にあるのは、たぴゅkさんのジンと卜全さんのヴァルケンハインなど。
スガイに常駐するレベルで対戦を行っていると、スガイに来る面々の顔は当然覚えていましたが、逆に大会でしか見ない人との対戦も、ネシカの導入によって簡単に覚えることができるように。
今では北海道勢の上位に位置するプレイヤーも、この頃はまだまだ実力向上の途中であり、ゼクスラグナのめんどくさい動きが簡単に通じる時代でもありました。
(※今じゃ簡単にあしらわれるので困ったもんです)

そんな彼らと対峙して大会でも勝ち続け、いよいよ夢にまで見た(文字通りの)悲願優勝達成!!!!!

夢の中程薄暗くはなかったですし、トロフィーも貰うことはなかったですが、”1人で大会に優勝する”ということだけで心の底から嬉しかったのを今でもはっきりと覚えています。
2009年の2月から始め、約2年で結果を出せたというのは遅いのか早いのかはよくわかりませんが、とにかくめちゃめちゃ嬉しかったのは事実です。

ですが、その余韻にずっと浸っていることはできません。
初めて参加したGAME41での優勝を志している以上、大会参加をここで止めることはできない。
次なる目標は、GAME41のシングル大会優勝!!

そう思って毎月大会に参加しようとするも、薄っすらと自分の中で”とある”心境の変化が起き始めていた。
それを上手くコントロールできていなかった自分が、今となってはただただ悔しさでしかないのですが。

今後参加する大会に関して語る上で必須な”あの”男のお話がいよいよ登場。



次回、”あの”忍者使い編。お見逃し無く。

2023年10月3日火曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part9 天と地の差を味わう │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



2010年7月。
満を持して発売された家庭用 『ブレイブルー コンティニュアムシフト』
昨年の年末大会以後、中々結果が振るわなかったゼクスラグナを強化する時が来た。




家庭用発売に伴い




家庭用を購入し、ストーリーモードを必死の形相で終わらせると(※CTより分岐は少ないが、何度もループして見せられるハザマのセリフの箇所には流石に堪えた…。)、ランクマに潜り必死に対戦。
実力を上げたこともあり、連勝数を次々と積み重ねていく。

ここから、プレイヤーの実力指数となる“PSR”が登場。
勝敗によって数値が変動するため、勝てば勝つほど上げることができました。
再びランクマに潜る日々が始まりましたが、ここで師匠と再び対峙することに。

自信満々で挑んだ対戦でしたが、その圧倒的な攻撃力と防御力の前に敗北。
やはり師匠、ブラッドカインのコンボは誰よりも高く、ゲージを使ったのにそのゲージを回収し、更にはその溜まったゲージで再びブラッドカインをするというレベルまで既に達していたので手も足も出ず。
少しは差が縮まったかな~と思ったら、ラグナそのものが強くなっていたこともあり余計に実力差を感じましたね。
この時のラグナを知らない方は、CS後期の対戦動画を覗いてみると面白いですよ。減りすぎですから。

ランクマのみならずプレマにも参加させていただき、いつも通り師匠に対戦をお願いし、がっつり対戦。その中でブラカイコンの基礎を学び、大会結果などを伝えたりしました。

すると、師匠からとんでもない話が。ちなみに、師匠はもっぱら家庭用ゲーマーでありアケにはあまり行かない人だったんですが……。

「実は九州一を決める大会がありまして、そこで優勝しました」
ゼクスは思わず叫びました。

ラグナは確かに強くなった。
だが、それ以上にライチとバングの壁は分厚く、アラクネという凶器も未だ健在。
内容を聞くに、決勝はラグナ、アラクネ、ライチの三つ巴戦だったという。
そんな中優勝する師匠……あまりにもかっこよすぎる。

興奮が冷めた後、一気に我に返った。 自分は、まだ何も成していない。

確かに昨年、ランダムチーム戦でありながらも優勝はした。 しかし、一人で優勝というのは一つとして無かった。
GAME41での優勝を一番に心掛けていたので、それを達成しないことには、師匠に追いつけないと思っていました。

ここで、予期せぬ災難が別の形で降り掛かってくることになるとは……。



家庭用シリーズ初のキャラ追加




タイムリリースキャラというのは前作でもありましたが(ハクメンとニュー)、家庭用からプレイアブルキャラクターが追加されたのは初めてのことでした。
令和のご時世では、家庭用でキャラクターが増えるなんていうのはなんも珍しくもないことですが、この頃はゲームセンターからではなく家庭用ゲーム機専用でアップデートが入るというのはかなりの大事でした。

そんな中で登場したマコトとヴァルケンハイン。
その力は、どちらも最凶そのもの。

アーケードでのランクで言えば、上からライチ・バング・ラグナが強キャラとされていました。
ですが、その3キャラを容易く超えてしまうレベルの強さがこの2キャラにはありました。
家庭用で必死に練習をしていた自分のラグナがこの凶悪な2キャラに敗北を味わう度に、愛しさも切なさも心強さも生まれなかった。
ただただ虚無。からの怒り。

「家庭用からの追加キャラだからってこんなに強くていいの!?」
などと叫んでいたわけですが、そんなことを言ったところでどうにもならないので再度虚無。

悔しさをバネに、大会で優勝することを目指してこの頃からスタートしたことは、ランクマだけではなく、プレマをするということでした。
特に、ボイスチャットを使ったプレマによる交流。
こういったことをCT時代では一切やったことが無かったため(なんか、会ったこともない人とプレマ部屋の閉鎖空間でお話するというのがなんか怖かったんですよねこの頃は……)、意見交換しながら対戦できるのは非常に面白い体験でした。

今で言えばDiscordを使って対戦をしている人が主に多いと思いますが、この頃はPS3のプレマ機能の一部をそのまま利用して対戦していました。

そんな中で出会ったプレイヤーの中で、まさかCFになってから出会うことになる人が居るとは夢にも思わず。
この”夢にも思わず”というワードがいつでも出てくるが、本当にここまで続けていると面白いことがたくさんあるもので、その楽しさを感じる度に「ブレイブルーをやっていてよかった」と思えるのです。

今後ご紹介するジークさんの師匠にあたる”ヴェルサス”さんや、現在ココノエを使っている当時ハクメン使いだった”やてん”さん、CFではマイ使いになった”ともれろ”さん(当時ジン使い)などなどの方々も、この頃のボイチャ対戦によって接点を持ちました。

ゲームセンターでの繋がり、ネット対戦での繋がり、それぞれに共通しているのは、”ブレイブルーで対戦したことがある”。
今後、こういった繋がりがどんどん大きなイベントへと続いていく。

その時は些細なことと思っていても、長い期間を置いてみれば、本当に大切なことだったと思えます。
対戦格闘ゲームは、長くやればやるほどいいことがあるものです。
勿論、その裏にある悔しさや難しさはついてきますが、その気持ちを味わってでも続ける価値があったなと、鳴海は思うのです。

ラグナの調整、更に膨らむ新たなプレイヤーとの出会い。
今後、まだまだお話していない、ゼクスと鳴海のお話を綴ってまいります。
それではまた、次回以降に。



次回、CS2編にて。



2023年9月21日木曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part8 最高にハイってやつ │ Narumi's BlazBlue History



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ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



新たなラグナの強さは何か?
それを引き出すためには何が必要なのか?
答えを求め、ひたすらにゲーセンでの戦いを続けていく中、一人のハザマ使いに出会う。



あのハザマに出会った日




対戦動画を見て強い所を盗む。
この行為は格ゲーを本気でやり込み始めた初期の頃には誰しも通る道だと思います。
ですが、探しても居ないキャラクターは残念ながらいるもので……。

例えばCS時期、レイチェルは極端な弱体化により絶滅したと言っても過言ではないレベルでした。
CTであれ程猛威を奮ったキャラクターも極度の性能低下を見せると、ここまで人が居なくなるのかと、ある意味で勉強になったものです。
もし自分がレイチェル使いだったら、参考にできるプレイヤーがおらず、ネットにアップされる対戦動画を今や遅しと待つしかありませんでした。
ですが、ラグナは溢れ返るように使っているプレイヤーが居たため、真似さえできればすぐに最適化することができました。

こういった側面で強くなっていったことを考えてみると、“自身で何かを見つけ出す力”に関しては人一倍遅くなった(もしくはその力を養うキッカケを得るのが遅くなった)要因とも考えられます。
自身で新しいものを見つけ出すことは、例えキャラ対策やプレイヤー対策が煮詰まったと思っても、別の人の視点を取り入れれば違った対策が生まれることもある。

そういった力が、対戦格闘ゲームにおいて非常に重要なファクターであるのは、歴戦の猛者を見ていれば周知の事実。
その思考と、対策を常に考え続けることのできるプレイヤーが身近に居たにも関わらず、この時期でそれに気づけなかったことは自分のことながら勿体なかったと思いますが後の祭り。

ある日のGAME41大会。 一人のハザマ使いが、野試合であらゆる者を蹂躙していた。
プレイヤーネームはのぜ。 後に、全国覇者となるハザマ使いですね。

スガイにもハザマ使いは数人居りましたが、ゼクスラグナは負けることこそあれど負け越すことは絶対になかった(という思い出補正。絶対負け越している時はあったと思いますが、それくらいの気概でした)。
しかし、この男のハザマは容易く倒せるものではなかったからこそ痛烈に印象付けられたわけです。
高いコンボダメージ、邪悪の極みであるウロボロスの派生。
CT時代の悪夢(ν-13)が復活しそうになるレベルで、のぜハザマは驚異に感じられました。
この頃、ゼクスラグナはまったくといっていい程勝ちをもぎ取ることはできない状況が続いていたのです。

しばらくの間このハザマに苦しめられることになりますが、逆に助けられるシーンも出てくるですから、対戦格闘ゲームを長く続けるということは面白くもあり不思議な展開になるなぁと。

ちなみに、この時抱いていたゼクスの心境は、”殺意”。



ついに訪れた瞬間




のぜハザマと対戦した衝撃からそう遠くない日。
年末頃に行われたマキシムヒーロー店のブレイブルー大会。
最初にランダム2on2を行い、その後は紅白戦。

なんと、一つのイベント参加者で70名を超えるという、今ではまったく考えられない規模の大会となっていました。
※遠征者は含まない。北海道勢のみ!!
CTから始めた人、ギルティの流れでブレイブルーをやっている人、CSからブレイブルーを知って始めた人、それぞれが一同に介して参加したイベントでした。

ランダム2on2なので、くじで相方が決まりチームを組む。
この時の相方は元々ギルティプレイヤーであるTADさんでした。
CT、CSでライチを使い、ここまでの作中でほぼほぼ勝ちを拾ったことが無い方とタッグを組むことに。
更にこの時のCSライチは群を抜いて最強クラス。
非常に強力になったラグナをも超える強キャラなのに、強いプレイヤーが使ったらそれはもう手がつけられないに決まっている。
そんなこんなで奇跡的にTADさんとチームを組めたゼクスラグナ。

途中経過は朧気なので、相手が誰だったのかまでは思い出せませんが、一回戦から決勝戦までの間、二人共一度も敗北することはなかったので、お荷物のまま終わることはなかったと思います。

準決勝の相手はキョージュカルル&のぜハザマ

「なんてことだ……もう終わりだ……」

当然そんなことを口にはしちゃいませんでしたが、のぜハザマが相手チームに居たことはゼクスにとってかなりの絶望感。
TADさんも「こりゃ無理ですね」なんて軽く笑って見せた。

初戦はキョージュカルル。たどたどしく使えるようになったブラッドカインコンボを決め、なんとか勝利。この時点で大分嬉しかったのだが、続いて出てくるのはのぜハザマ。
早稲田式のため、プレイヤーは交代しTADさんとのぜさんの対戦。

すると、「こりゃ無理ですね」と言っていたTADさんがあっさりと勝ってしまう。
恐るべし……。

強敵を超えた勢いのままに、そしてチームの強さも相まって、ゼクスラグナ、


対戦格闘ゲームの大会で初優勝!!!!!


チーム戦ですから相方さんの力が大きかったのは当然なのですが、やっぱり底なしに嬉しかったのを今でも覚えています。本当に嬉しかった。
ミウさんやあさひさんにも「おめでとうございます!」と言っていただけたことも、なんかこう自分のラグナを少しでも認めてもらえたんじゃないかっていう嬉しさもありましたし。
とにかく嬉しかった。多分TADさんに二、三回は握手を求めていたと思います。めちゃしつこいと思いつつ圧倒的感謝。

それだけじゃなく、優勝したことによって初めて声をかけてくれた人たちも居て、話せるプレイヤーさんの幅が大きくなりました。
あまりにも嬉しく、あまりにも楽しく、スガイで頑張ってきたことが実った瞬間かなーなどと思いつつ、最高な気分で帰宅したゼクスでした。
この時の興奮は未だに忘れられませんね。



はてさて、そんな中遠方に居る師匠はどうしているのかというと……。
更に高みへと登っているプレイヤー達との出会いが、ゼクスラグナに影響を与えることになる。



次回、CS家庭用編にてお会いしましょう。



2023年9月19日火曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part7 ニコ動で投稿されはじめた頃 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



新たなバージョンにて大会に挑むゼクス。
実力は間違いなく向上していたが、優勝するというのはそう簡単では無かった。



GAME41へ行くという行為も、半年以上通い詰めれば然程珍しくもなく、その頃になると知り合いのプレイヤーさんも増えていました。
前回までにお名前を出したメンツしかり、CT時代には現札幌電撃勢で知らない人は居ないであろう、キョージュさんとも話をするくらいには輪が広くなっていった頃。
別の回にて、ゲーセンはある種の実力別で別れてるなんて話がありましたが、スガイで実力が上がったお陰か、マキシムの上位プレイヤーから「スガイでめっちゃやってるヤバイ奴が居る」くらいには思っていてくれたそうです。
(※ちなみにこれは後日知り合ったゲーセン店員Mさんから聞いた話。)

そりゃディバイダーrcディバイダーrcディバイダーをするくらいの奴ですから、確かにヤバイと思われても仕方がない。

負ける人が徐々に減っていく中で、やはり味わいたいのは優勝。 あの日。ブレイブルー大会で優勝する夢を見た日。 それを現実にできるのではないか? ということが、着実に近くなりつつあるのを感じて居ました。

ですが、現実はそう簡単ではないものです。

実際に大会に出てみると、そりゃもう周りは強い人ばかり。
EVOがメジャーリーグだとするならば、ゲームセンターで毎回開催されているような大会というのは言わば草野球みたいなもの、という例えを耳にしたりします。そんな草野球ですらゼクスにとっては修羅地獄と同じ様な場所に等しかったのです。

事実として、世界で優勝するレベルの人たちだってそういうゲームセンターの環境で育ってきたわけですから、ゲーセンで開催される大会で優勝するという価値は非常に意義のあるものとして認識することはなんら不可思議なことではないのです。

「そんなこと言って、ゼクスさん(鳴海さん)は昔からめっちゃ強かったんじゃないすかぁ??」
って疑問に思われる方に、過去のゼクスがこんなもんだったよっていう動画がありますので、是非見てください。
「え、この人も居たの!?」という面々が居るので資料的な意味合いで希少な動画があります。


ご覧になってどうでしたか?この叩かれようですよ。
「今と変わらんやんけ!w」って意見と「ゼクスさんにもこういう時期があったんだなぁ」と思っていただけたかと。

そうなんです、こんなもんでした。
それでも9年近くやってたら、全国大会に出場できるようになるくらいには成長できたんで、諦めずやり続けるといいこともあるもんですよ。

この大会で動画が投稿された後、コメントであれこれ書かれていましたよね。
ゼクスはそれで落ち込むというより、「これが正しいということをいずれコメントした奴に証明してやる」と思ってやっていました。
その結果として今があるので、このコメントを書いてくれた人には感謝ですよね。それが原動力になったわけですから。

ちなみにこのCS時代の大会によって、KDBさん(別の大会で一回戦に当たり敗北。ゼクス、相当なショックを受ける)、ハルさん(実はテイガーを使っていた。今とこの頃じゃ雲泥の差があるくらい実力者になってしまった)、イカメンさん(言わずとしれた北海道蒼トッププレイヤー。この時はまだラグナ。アズラエルが出るまではずっとラグナだったのを皆さん御存知でしたか?)など、今の札幌BB界には不可欠な面々と出会うことになるわけです。
KDBさんに至っては初めて会話したのはKOF13稼働時期でしたけどね。(※当人は恐らく覚えていない)

CTから大会によく参加していましたが、結果が良くない日の方が基本的に多い。
その悔しさを噛み締め帰ったらネット対戦とトレモ。

これの繰り返しです。
ですが、人によって成長スピードというのは違うもの。

気づけば師匠はさらなる高みへと登っていたのを、この時のゼクスは知りませんでした。



次回、CSブラッドカイン編。見逃すな。



2023年9月17日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part6 新作稼働!! │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



2009年11月。
ついに稼働したブレイブルーの二作目。
この作品で、ゼクスはまた様々な体験をすることになる。

しかし、この時はまだ誰も知らなかった。
CSシリーズだけで、あんなに長く続けることになるとは……。



初のバランス調整




ブレイブルー コンティニュアムシフト

ブレイブルーの二作目となるこの作品で、ハザマとツバキが新規参戦。
各キャラクターも調整され、システム面でも“ブレイクバースト”に変更。
(CTのバリアバーストは本当に使えない。相手にガードされやすすぎるし、バーストしたら否応なしにデンジャー状態。実質負け。)

ラグナの変更点は新技てある“ベリアルエッジ”の追加と、各技の性能強化。
さて、どのように調整されたのか気になるところであったが、稼働日はサークル活動があったため、夕方以降の参戦。
スガイに着くと、対戦待ちの長蛇の列。 全員倒したい!という思いを胸に新しいラグナをいよいよ使うことに。
が、その前に気になってしまった点が二つ。

・システムボイスの変更。
※鳴海はCTシステムボイス至上主義者。次点でCP。
・ラグナのCT4番カラー削除。代わりにCS4番カラーの追加。

若干コレジャナイ感を味わいながらも対戦。 少しばかりゲームスピードが早くなっており、エリアルからベリアルエッジを使い、5D経由で各必殺技締め。
かなり使い勝手が良い。
初戦はラグナ同キャラで自信がありましたが、慣れない新技とその動きがわからず敗北。

その後乱入した友人のクロルは、νが居なくなった代わりに登場したλを操作。
100円入れてλを選んだ瞬間、周りが憐れみを持って乾いた笑いを起こしたのを今でも忘れない。
その意味を、操作したクロル自身に染みたことでしょう。最凶と呼ばれたνのD攻撃が軒並み弱体化し、それ以外の技性能もイマイチと思われた。
トラウマキャラであるνの後継キャラがここまで弱いなら、ラグナの天下が来たのでは!? と心躍らせた日でもありました。

その上が居るとも知らずに……。



稼働後最初の土曜日




当然ながら、朝からのゲーセン凸。 新しいラグナをじっくりと味わっていると、ミウさん・みょんたさん・あさひさんの三名が来店。
まだまだ若かりし頃のゼクス(この頃は本当に若いときだから!!)をさくっと倒し、お昼へ。
やはりインパクトがあったのは、テイガーの新技であるガジェットフィンガー
テイガーに有利なジャンケンを仕掛けられ、あっという間に体力が溶ける恐怖。
今でもあの技の後の読み合いには付き合いたくないですよね……。
それでもしかし、テイガーはやっぱり厳しいということで終わっていったわけですが。

その後、新キャラを使い対戦をする人が現れたため、VSツバキ、ハザマ戦。
特にハザマ戦はウロボロスの強さが目立ち、かなり苦戦。
まーーーーた遠距離が強いキャラ出てきたと憂いながら対戦を進めていましたが、やはりCTを始めた頃よりも実力が格段にアップしていたため、連勝数は20以上。
完全に気持ちよくなった。

これもまた、師匠から教えていただいた賜物だと感謝しつつ、ゲーセンに通う日々。
今度こそ、GAME41での大会優勝を!
という目標を掲げ、CSラグナに慣れるためにひたすら対戦。
この時はフリープレイも開催されていたため、毎度必ず居る黒いラグナ使いとしての認知度が高くなった時期でもあります。
(※CSから始めたライチ使いのドクターさんから声をかけられるキッカケになったのはこのスガイフリプ)

ですが、こうして野試合で勝てても大会では難しいもの。 CS初期の大会参加の様子は次回にて。




2023年9月13日水曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part5 師匠に似て非なる弟子 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



実力が上がったことを感じられる瞬間




家庭用が発売してからも、自分で自分の対戦動画を見ながらコンボ練習をしていた時期。
スガイで上位プレイヤーになるため、ひたすらゲーセン通いをしていました。
そんなある日、1人の女性プレイヤーとエンカウントしました。

対戦格闘ゲームというのは男性の方が母数の大きいジャンルであることは明白であったと思います。ブレイブルーはビジュアルも含め性別関係なく人気なんだなーと思いながら、動きは明らかに初心者ではなさそうだったので1クレ投入。

使っていたキャラはジン。
ジン戦は好きだし得意だと思っていたので、「今日も連勝しちまうか~~~」くらいの気持ちで対戦。

が、ゼクスはかつてない衝撃を受ける。
当時のゼクスにとってガー不(ガード不能。こんなんガード無理やろっていう意味)の連携だと思っていた2A>6Bが必ずガードされる。
今思えばめちゃ恥ずかしい話ですが、お察し下さい。

「そんな馬鹿なはずは……」と言っている間に敗北。
何度も対戦を仕掛けてみるも、敗北。
結局勝てずに、お時間が来たので去っていってしまった。

その相手とは、マキシムでかつて毎月開催されていた女性限定イベントに参加されていた方であれば皆さんがご存知のあさひさんである。
”特定の連携は人によって簡単にガードできてしまう”という、簡単に思えて実は攻めと守りにおける重要なポイントを教えてくれたプレイヤーの1人と言っても過言ではありません。
今でも明白に対戦した内容を覚えているくらいには衝撃でした。



さて、あさひさんとの対戦からまた数日が経ち、いつものスガイで別のジン使いの方と対戦。
その方は、GAME41で優勝をするレベルのプレイヤー。
ギルティではカイ使いのミウさん。
この時の対戦もまた忘れられないものとなっている。

対戦格闘ゲームというのは大会において2ラウンド先取が主流ですが、普段の対戦である野試合と呼ばれる設定においては、3ラウンド先取に設定しているゲームセンターも少なからずありました。
対戦する時間が長くなれば長くなるほど実力差が出やすくなるものですが、この時のゼクスラグナはミウジンに対して最終ラウンドまで進み、尚且最後ギリギリまで体力を減らしバーストまで吐かせることに成功した。
後少しのところで敗北したが、ここまで気持ちいい敗北というのは中々なかった。
GAME41で優勝するレベルのプレイヤーにここまで食らいつくことができたという功績が、自分にとって非常に嬉しかったんです。
おそらく、現在CF2をやっている若手プレイヤーも、上位プレイヤーを追い詰めるとそれだけ嬉しい瞬間というのは訪れるでしょう。
その喜びは、ゼクスも通った道。
いやー、そんな時期もありましたねー(遠い目)。

ただ、ギリギリまで追い詰めたからといって同じような試合内容になるわけがなく、”勝つ”という結果に至ることはその日一度もありませんでした。
これが”実力差”なのだ。一度勝てそう・勝ったからと言って本当に『相手に勝った』ということにはならないんだな……という教訓と嬉しさの間を噛み締めつつゲームセンターを離れバイトへ……。



ゲームセンターでの対戦で経験を得つつ、家庭用での対戦を反復している中、1人のラグナ使いを家庭用でみかけます。
今でも可能ですが、ランクマの対戦動画リプレイを見漁っていた時のことでした。明らかに他のラグナと違う動きをするラグナを見つけ、度肝を抜かれました。

それは、今まで自分が使ってこなかったラグナのゲージ必殺技である『ブラッドカイン』を使い、体力を根こそぎ奪った上で相手のバーストまで封じるという恐ろしい対戦内容。
今でも対戦内容思い出せるくらいには明確に覚えています。
然程実力も無い頃だったので、雷に打たれたような衝撃は後にも先にも中々無い体験でした。

ランクマでのリプレイ、ということから「いつかこのラグナと対戦してみたい……!」という途方もない探し方。
今みたいにロビーがあるわけでも配信されているわけでもなかったので、ただひたすら、ランクマをやるという行為でエンカウントするしかありませんでした。

エンカウントするため一生ランクマを回し続ける日々。
そしていよいよ、かのラグナと出会い対戦できる日がやってきました。
対戦内容としては、ゼクスラグナがガンガン攻めるけれど、お相手のラグナは淡々とガードを続け、ゲージが貯まるとブラッドカインのコンボできっちりと倒してくる。

戦績としては呆気なく負けましたが、それ以上に得たものが大きいので負けは気にせず次のアクションへ。ゼクスはすかさずPSNのメッセージを送ったのです。
フレンド登録を知らない人に送ったのは、これが初めて

「どうやったらラグナで強くなれますか!?教えてください師匠!!」

前後の文章は省き、かつ誇張表現で書くとこのようなことをメッセで送っていた。
放送とかでもないのに、初見で対戦した人に対ありでした、の文章以外にいきなり弟子入り連絡。
よく考えずとも中々な行動だったとは思いましたが、そこは笑って大人の対応を取ってくれた、というような感じでした。

互いにラグナの良さと難しさをメッセージでやり取りしているうちに、憧れだったラグナ使いは”師匠”となった。(明確に師弟関係だった、というよりは勝手に着いていったという言葉が適切でしょう)
ほとんど一方的でしたが、特にそれについて否定されたことはありませんでした。
現在において師匠はブレイブルーをやっていない(おそらく)ですが、ゼクスにとっても、鳴海にとっても、師匠は師匠のままです。



師匠との出会いによって、ブレイブルーを始めおよそ半年程でGAME41大会の準優勝を飾ることができました。
本当に感謝してもしきれないですね。
でもまぁ、とんとん拍子でキレイに物語が進むことはなく、次の壁が立ちはだかります。



キャラ差というのをが身に染みる




師匠と出会ったお陰で実力が鰻登りになったのは良かったんですが、ここで新たな壁に激突してしまいます。
皆さんはキャラクター差がゲームにあることはもちろんご存知のことでしょう。
これから対戦格闘ゲームを始めます!という方が読んでいる場合は是非覚えておいていただければと思います。
キャラクター別に相性と強さのレベルは確実にあり、その状況を理解しつつ対戦していくことが対戦格闘ゲームではマストな要素です。

一作目のブレイブルーでは上位3キャラがν-13、レイチェル、アラクネでした。
逆に下位キャラはテイガー(ダントツで弱キャラ)、ラグナ、バング、ハクメンあたりで、主人公は残念ながら下から数えた方が早いというね。ラグナよ、なんと不甲斐ない。
ただでさえインファイターはνに厳しいというのに、ラグナ自身の能力値も低めなので、辛くなるのは当然のことでした。

さて、ここで登場するのが大学時代の友人でもあり今でも交友関係のあるクロルという者。
彼とは家庭用オフ対戦を行うこともしばしばあり、カプコン系の対戦格闘ゲームやギルティを勧めたのはゼクス(ギルティの名前を出すとこのプレイヤーネームめっちゃややこしい)からでした。

クロルは初期に使っていたキャラクターはジンでしたが(※ギルティではカイだから、やっぱりジンになる。そのままにしておけばよかったものの……)、途中からνにキャラ変更。
自信満々のゼクスラグナを3ラウンド先取で2時間も倒し続けた。一度たりとも勝てず。

2時間も。

格上相手のプレイヤーには日常茶飯事であっても、ブレイブルーを始めた同期のプレイヤーかつそんなに実力が離れていなかったはずの相手に、これ程まで勝てなかったというのは非常に衝撃であった。
しかしこれは、今後続いていく鳴海ブレイブルー史において、非常に重要なフェーズであったとも言える。
と言いつつ、負けるたびに怒り心頭。ぶっちゃけあまりにも理不尽な強さにマジで怒ってました。
絶対にコイツ許さん!!!!!!!!!!!
ここで素体アレルギーを発症し、今日に至るまでずっと続いているという悲しき事実。

でも、この時の経験は明らかに役立っておりますのでそういう意味では感謝です。



そんなこんなでCT編はこれにて終了。
ゼクスがブレイブルーを初めてから九ヶ月後の2009年11月。

ついに、新たなバージョンが稼働することに。

次回、CS稼働編へ。



2023年9月12日火曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part4 ありがとう家庭用 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



アーケードと家庭用、どちらも反復横跳び




ゲームセンターを通じて格ゲーの世界を知り、自分の実力を認識してから始めたこと。
それはいきつけであるゲームセンター、スガイで実力を上げることであった。

CTの頃、ブレイブルーのプレイヤブルキャラは12キャラ。
(※νとハクメンは少しズレてのタイムリリースであったが、鳴海が大会に参加する頃には既に登場していた。)

今のように使用キャラが分散していないこともあり、自分の使っているキャラを見かけることは少なくなかった。今でもラグナは主人公かつシンプルな操作性でそう少なくないプレイヤー人口ですが、CT時代はキャラパワーこそ圧倒的に低いものの、稼働半年としては及第点的に大きなダメージが出せることもあり、多くのプレイヤーが使用していました。
(いや、この頃には相当数のプレイヤーは”ヤバい”ことに気づいていたかもしれませんが)

大学が終わり部活やバイトが無い日、スガイに来るとまずは誰が対戦しているかを確認し、他のラグナが何をしているかを確認。
そこで鳴海は知りました。投げからのコンボルートを。
人のやっている内容を見て、ようやく投げのコンボを習得
※ブレイブルースタートから約二ヶ月後のことです。

勿論安めのコンボではあったが、投げという選択肢が入ったことにより、対戦の幅が少し広くなったのは大きな成長でした。

他のプレイヤーを見る→強い行動を真似してみる→自分にできれば実践でも行い、できないならできる範囲で使う。

以上の流れを一通り行いつつ、月一度行われるGAME41の大会にまた参加しました。
まだまだ一回戦敗退を繰り返していた頃ではありましたが、更に転機が訪れます。

2009年6月25日。

『ブレイブルー カラミティトリガー』のPS3版が発売。
言わずもがな予約購入した鳴海(いや、この頃はゼクスでしたね)は、休みを取って朝から寝る前まで一日中蒼漬け。
当時はスト4で熱帯を行い、またアケコンも所持していたことから、ブレイブルーもゲームセンター同様の状況で対戦。
CT家庭用の良さを挙げるなら、ランクマッチの回転率です。

今のように段位もPSRの概念も無い頃。
見るのは対戦回数と勝率のみ。
出会った相手とは容赦なく対戦。
大学2年の夏休みは、毎日最低4時間はブレイブルーという廃人っぷり。いや、蒼人?

ネット対戦は非常に楽しく、いくらでも対戦できました。
けれど、負けず嫌いな自分の性格がここでも出てくるのです。 特に、同キャラで対戦している時の連敗。かなり精神的ダメージを負いました。下手すると、大会で負けたとき以上の悔しさ。

ここでまた、「自分が何故ここまでゲームに熱くなっているのか」という自問自答タイムに入ります。
こうやって書いてて思いましたけど、この自問自答って一生終わらないんでしょうね。きっと。そんな自分が、ここまでラグナにのめり込んだのもきっと運命的なアレなんでしょう。

最初は勝率6,70%でしたが、やればやるほどどんどん勝率が下がり、5割を切った頃、本当に辞めてしまおうかとまた考えました。
でも、自分がまだ最大限にラグナを使いこなす前に辞めるのは勿体無く感じたのです。
だったら、やるだけやってから辞めよう。

当時は既にネット掲示板やニコニコ動画にコンボ動画を投稿するなど、ゲームに関する情報が簡単に入手できるようになっていました。
それだけではなく、ネット対戦のリプレイも鑑賞可能。普段はそういうのを見ないくせに、たまたま目についた一人のラグナ使いがそこに……。





次回は、実力を格段上げてくれたゼクスの師匠との出会いについてです。



2023年9月7日木曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part3 身の程を知る │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



プレイヤーネーム1つで運命の分かれ道




いよいよ、初の対戦格闘ゲーム大会への参加を決めた鳴海は、当時の札幌ゲーセン事情のことなどまったく知らず、『GAME41』のブレイブルー大会へと参加します。
(※記録がもう無いため朧気な憶測になりますが、恐らくGAME41第3回ブレイブルー大会)
ブレイブルー大会はしばらくの間(というかほとんど)、ギルティギアアクセントコアの大会と同時開催で、ギルティの後にブレイブルー大会というのがいつもの流れでした。

そんなわけでゲーセンに訪れた鳴海。
そういえば、大会参加には名前が必要だった。はて、何にしようか。

本名?

いやいや、流石に抵抗がある。

鳴海?

小説書くときに使ってる名前だしなぁ……。
(※実はこの時既に使うか迷っていた)

じゃあ何にしよう。 なんとなく、自身も相手も覚えやすい名前の方がいいかなー。
ラグナ使ってるし厨二病な名前の方が忘れないかな。

よし、ゼクスでいこう。

この時、ゼクスは知らなかった。 実力さえあれば、もしくは大会の常連であればあるほど、名前は勝手に独り歩きするものだと。

そんなことなどお構いなしにギルティ大会スタート。
ギルティの大会には参加しなかったんですが、その雰囲気を見ていて気付きました。
自分は、とんでもないところへ来たと。

大学サークルの部室で遊んでいることと訳が違う。
みんなして尋常じゃない動きをしている。
軽いノリで「ギルティもやるかなw」などと思っていたら、その時点で真っ二つにされていたことでしょう。

得体の知れない何かに急かされるような緊張感を味わいながら待機。
その間、折角眼の前で対戦が繰り広げられているというのにさっぱり情報が頭に入ってこない。というか、なんか凄いことしててなんかわからん状態。

そうこうしているうちに大会が終了し、いよいよ本番のブレイブルー大会。

ブレイブルーが稼働してからまだ4ヶ月程ということもあり、ギルティをやっていたプレイヤーの方が蒼をやるという流れは、どこの地域にもあったのでしょう。
札幌でもその流れがあり、ピッカピカの新人であるゼクスは、ノーマルカラーラグナでの参加。
(※この時はまだあのブラックカラーは使用していない)

GAME41では大会形式としてブロックからの勝ち上がり者を決め、最後に決勝トーナメントを行う、ということが人数により採用されていました。
この日もそのルールとなり、3人程のブロックに新人のゼクスが。

一戦目。ラグナ同キャラ。
対戦相手は古くから居る札幌ギルティ勢の皆さんなら御存知のY氏さん。
ご本人は絶対に覚えてないと思いますが、ゼクスはそれが初めての大会だったため、今でも鮮明に覚えています。

ラグナは知っているキャラだし、なんとかなるだろう……。
と思っていたのも束の間。

敗北。

何もできず、体力をまったく減らすこともできず一方的な敗北。

当時のゼクスは、ディバイダーを盾にした攻め方しかほとんど無い状態。
立ちBを振るか、低ダJCをして攻めるかの2つくらいしか手札が無く、6Aで対空されて勝手に死んでいきました。
そもそも、6Aが対空である、などということを知るのはまだ先の話なわけです。
上に居る相手を落とすには昇龍拳、しか知らないラグナ使いなんて今はまぁほとんど居ないはず。
その時のゼクスは希少な人間だったわけで、投げ抜けのシステムもろくに知らない状態でボッコボコ。そりゃそうなりますわ。

大会に敗北し、違う世界を見せつけられてしまったゼクスは呆然としながら大会をそのまま観戦。
大会終了後の野試合で再度対戦を挑むも、敗北、敗北、敗北……。

その日はなんと一度も勝つことができずに終了。

悔しさが通り越して虚しさに。

「あー、なんで俺こんなにゲームで悔しがってんだろ。馬鹿らしい」

ふと気付いたわけです。
なんで自分はこんなに悔しがっているのか?
生来、自身が負けず嫌いであることは承知の上ではあったけれど、何もゲームでこんなに悔しがってどうするのか。
ああいう場所に集まる人は、本当にゲームが好きなプレイヤーの集まりで、スーパープレイをバッシバシ決められる人しか居られないんだきっと。

とまぁ、このようにやさぐれモードまっしぐら。

暗い夜道を暗い気持ちで自転車で漕ぎ帰宅。
その翌日から、ゲームセンターへ行くことが少しずつ減っていきました。

その”少し”というのはあくまで鳴海基準の少しなので、空いた日数はわずか1,2日程度。



あれだけ悔しい思いをして、所詮はゲーム等と思ったくせしてまたブレイブルーをやりたくなっている。

今思えば、ここでスッパリ辞めていたら、この記事を読んでくれている方や、ツイッターのフォロワーさんと出会うことは一切無かったでしょう。
それほどまでにブレイブルーをやるか、やらないかというのは人生を大きく左右したわけです。

負けた悔しさをバネに、いつものスガイへ。
そこからまたゲーセン行脚を繰り返しているうちに、一つ気付いたことがありました。

ゲーセンによってプレイヤーの実力帯が違う。

今のように、対戦するならここしかない!という感じではなく、点々と戦える場所があったため、プレイヤーはその腕に合わせてゲームセンターへ足を運ぶことができました。
CFでわかりやすく言うなら、文字段位ならAという場所、赤段位ならBという場所、みたいな。
別にお店で制限しているわけではなかったのですが、どうやらそれが自然と構築されていたらしいです。
それに気付いた鳴海は、強いプレイヤーが集まるとされる『マキシムヒーロー』へ再度足を運んでみました。

その頃には、ディバイダーキャンセルディバイダーくらいはするようになり(※良い子は真似しちゃだめだよ!)、コンボも5A>5B>5C>ヘルズ一発目キャンセル>5B>5C>ヘルズファング くらいはやるようになってました。
それでも激安…!

多少なりとも経験は積んだので、いくら強いプレイヤーが居ると言ってもなんとかなるかな?と、大会前の自分に似た考えをしつつ対戦。
すると、何もさせてもらえない。
100円投入して必死にもがいて見せるけど、何もできない。

ここで自分は身をもって知ったのです。
自分がここのゲームセンターで普段から対戦するには早すぎる。

だったら、自分のいきつけであるスガイで一番強くなってからまた挑もう。



自分の実力をしっかり見極めてから目標を立てたゼクス。
さぁ、彼が優勝するのはいつになるのやら。

次回は、家庭用発売編となります。



2023年9月4日月曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part2 ”ゲーセン”を知る │ Narumi's BlazBlue History



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ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

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俺より強い奴に会いに行きたくなる時期




前回の記事でお伝えした通り、不思議な出会い(?)でブレイブルーにドハマリした鳴海は、毎日のようにゲーセンで対戦を行いました。
稼働から2ヶ月経っているにも関わらず、そして平日にも関わらず対戦待ちがずらりと出来る程の人気タイトル。
今じゃそのときに比べてプレイヤー人口が減ったなぁと痛感するばかり。
そりゃ稼働してから何年経ってるタイトルだよって話なんで、盛り上がっている時と単に比較するのは酷な話ですが。

それはさておき、鳴海がラグナを使い始めた頃。コンボや立ち回りに関しては格ゲー始めたての人と比べると、少しばかり差があったわけです。
そのお陰で良くも悪くも早い段階から勝ちの味を知ってしまい、次々と対戦したい欲が強くなります。勝つと言っても、1,2勝できれば御の字でしたが。

この時は家庭用がまだ発売されてなかったので、ゲーセンに行かないとブレイブルーで対戦できませんでした。
こうなると、対戦相手が有象無象に居るゲームセンターという場所が非常に魅力的であり、大学の講義中も対戦したい対戦したいと考えるばかり。

ここで一つお伝えしておきたいことが。
最近始めた人や実力向上に伸び悩んでいる方に、この時の鳴海の実力がどんなものだったかを箇条書きでお伝えしておきます。



◆対空、中段など格ゲー用語をよく知らない。
CPU戦や友人との対戦経験はあるから、それで戦っていた。

◆コンボはゲージ技使わないと激安。

えー、びー、しー、へるずふぁんぐ!

くらいしかやってませんでした。本当です。
よくても、

びーしー、かーねーじ、しざー!!

ってなもんです。安い。ダイソーかよ。

◆昇龍拳は出る(インフェルノディバイダー)
ずっと変わらん。



ざっとこんなもんです。今みたいにキャンセルしてどうこうなんてやったことありません。3000ダメージだせれば最大コン。
ディバイダーの後ゲージを使用してキャンセルするようになったのは少し期間開いてですから。

人によっては「そんな鳴海さん想像できん」って思われる方がいらっしゃるかもですが、全部事実。
本当に最初は、今皆さんが練習しているコンボよりも安かった。

でも、そこはやっぱり鳴海さん。

「昇龍拳とゲージ技さえ出せればいいやw」

というお気軽発想のもと対戦を重ねていると、何度か勝てちゃうんです。連勝とはいかないまでも。
それが呆気なく打ち砕かれる日が来るとは夢にも思わず。当然すぎる結末。

そんな勝ち方をしていても、家でしか対戦したことなかったやつが知らない人と対戦して勝てるとそりゃ嬉しい。
未知の世界を冒険するような楽しさの虜。
もっと、もっと対戦したい。

これぞまさに、

俺より強い奴に会いに行く

スガイだけでは飽き足らず、狸小路のタイトーステーション、アドアーズ、パロ、マキシム、東苗穂&麻生キャッツアイやセガ系列のゲーセンなどなど、休みの日は朝からゲーセンのハシゴ。
(※古くから札幌で格ゲーをやっていると、懐かしい店名がちょいとありますね。CFくらいから入った人はどこそれ?となるお店もあったんですよ)

まるでRPGの勇者一行がモンスターを狩りして経験値を上げるが如く、異常なまでの対戦欲に掻き立てられながら100円を投入する日々。
このような日々を過ごしているうちに、一件のゲームセンターが家からそう遠くない場所にあるのを見つけました。

正確に言えば再発見です。

そこは、鳴海家から自転車で20分少々で着くところ。
鳴海が中学時代に友人と、マヴカプ2とビリヤードをやりに行ったお店でした。
※中学時代の鳴海は家庭用マヴカプ2がトレンドでしたが、後に鉄拳へ切り替わるということがありました。それはまた別のお話。

そのゲームセンターの名前は『GAME41』。
対戦相手を求めていた鳴海は、街中じゃないゲーセンをも求め行脚。
そこはスガイよりも更にレトロなゲームがずらりと並び、CPU戦が苦にならない格ゲーマーなら正に天国。
ブレイブルーでの対戦はちらほら起きる程度だったので、トレモ&力試しにはちょうどいいと思っていました。
店員さんの居るカウンター近くにはテレビが置いてあり、その上の掲示板には色んな格ゲーの大会結果が掲載されていました。

多少野試合で勝てるようになってきた鳴海は未だ大海を知らず。

その張り紙を見て「まぁ一回くらいは勝てるでしょw」などという甘い考えを持ち、対戦格闘ゲームの大会というものに出てみようと考えたのです。



と、ここまでがそんなこんなで過ごしていた2009年3月頃のお話でした。
無駄に引っ張ったゼクス秘話は、またまた長くなったので次回へ続きます。
次こそ理由明かします。



2023年9月3日日曜日

【コラム】鳴海ブレイブルー史 part1 │ Narumi's BlazBlue History



本記事は、別ブログで掲載していた内容をリライトして投稿する内容になります。
ただのローカルゲーセン事情や鳴海の成長記録(?)を思い出語りしている回なので、ラグナ使いもしくはマニアックな格ゲープレイヤーな方のみご覧下さい。

全部ノンフィクションで書いていきますが、記憶違いがあるかもしれませんのでそれはそれで……。



ブレイブルーに出会った日




ブレイブルーというシリーズは、アークシステムワークスから発売された2D対戦格闘ゲームのジャンルに位置するゲームです。
今の鳴海をご存知の方は、ブレイブルーの主人公である”ラグナ=ザ=ブラッドエッジ”を使ってプレイしていることは周知の通りかと思います。
実は、ブレイブルー開始時は”鳴海”という名前ではなく”ゼクス”というプレイヤーネームで大会に出ていました。
後年、プレイヤーネームの被り的な部分やブレイブルーに関するキャラクターでややこしくなることもあり、鳴海に変更してよかったと思うばかりです。
そんな鳴海が、ブレイブルーというゲームとどう付き合いがあるのかだらっと記述していきます。

そもそも鳴海が『なぜ”ゼクス”という名前を使っていたのか?』などという、マイナーにも程があるトークからスタートです。



ブレイブルー カラミティトリガー がゲームセンターに登場する十数年前。
鳴海は対戦格闘ゲームが好きすぎる男児でした。
幼稚園の頃、家にはスーファミのストⅡがありましたので、主人公であるリュウを使ってガチャガチャと遊んでいたわけです。
多分、格ゲーやってる世代であれば大体似たような境遇は通ってると思いますけどね。

小学、中学、高校でも変わらず格ゲーをやってました。
色んなジャンルのゲームは遊んでいましたが、間違いなく対戦格闘ゲームと触れ合っていた時間が長いことは間違いありません。

鳴海の幼稚園~小学生時代はまだまだ今よりゲームセンターが多く、場所によってはスーパーのゲームコーナーにすら格ゲーが置いてあったので、遊ぶ時はコインゲームよりも音ゲーよりもクレーンゲームよりも格ゲー。生粋の格ゲーマーでした。
格ゲー内のタイトルとして遊んだものはかなりありますが、ここでは割愛します。



転機となったのは、地元の大学に入ってからでした。
大学のサークルに入った鳴海は、ウェイウェイしながら飲み会に参加してたりしたわけです。
陽キャな皆さんと違い、コーラとカルピスをミックスさせる飲み物を某小説の影響でよく飲んでましたけど、そういう飲み会があると二次会があったりするわけです。

二次会までの暇つぶしとしてちょうどいいのはやはりゲームセンター。
当時スガイと呼ばれたゲームセンターの二階にあるゲームコーナーには、今よりも古い対戦格闘ゲームがずらりと置いてある頃だったので、その光景を目の当たりにした鳴海が興奮しないわけがなく。

その時はとりあえずカプエス2を先輩と対戦して遊んだわけですが、その時の反動がまたよくなかった。
あの薄暗い雰囲気の中で遊ぶ格ゲーは、家で友達と遊んでいる時には味わえない楽しさが。
ゲーセンで遊ぶ楽しさに味をしめた年に登場した対戦格闘ゲームで有名なのは、

『ストリートファイターⅣ』
『タツノコVSカプコン』

ストリートファイターシリーズに至っては3rd以来久しぶりのナンバリング。
タツカプはマヴカプシリーズの流れを組むコラボ格ゲー。
その情報を手に入れた鳴海は、スガイへと定期的に足を運ぶようになります。

元々家庭用ゲーム機のパッド育ちである鳴海は、それぞれのタイトルを遊んでいるうちにレバー操作に慣れ、徐々に勝ちの味を知ってしまいゲームセンターで遊ぶペースが異常に跳ね上がります。
そうこう遊んでいるうちに、タツカプの左側に新しいゲームが入荷していました。

「あー、ギルティのとこが出した最新作か。確かに似てる」

と、友人と話をしていた覚えがあります。
友人はメルブラをやり、鳴海はタツカプで遊んでいたため、そのギルティらしき何かにはあまり興味を示さなかったのです。

ですが、来る2009年2月14日。日付を考えればなんとも悲しくなりそうなものですが、
この日にとある夢を見たのです。
いや、マジですよ?冒頭でノンフィクションって明言してあるので今更嘘をつく必要も無いからハッキリ書きます。

その日、とあるゲームで優勝する夢を見たんです。

薄暗い中、トロフィーを持つ自分の姿。
店員さんにマイクを渡され、優勝コメントを言っている自分。

こんなに昔の夢を覚えているとか、神からの啓示ってまさにこれかもしれませんね。
でも本当に神からの啓示だったら、ドリームジャンボが当たるとかそういうのほしかった。

起きた鳴海は早速そのタイトルのOP映像をニコ動でチェックしました。
そのタイトルが、『ブレイブルー カラミティトリガー
ちょうどその日、鳴海は友人2を家に招き徹夜でゲームして遊んでいました。
そのOPを観てモチベ爆上がりの中、友人2名を引っ張ってゲームセンターに向かいました。

アークシステムワークスと言えばギルティギア。
家庭用で遊んでいた鳴海は、ソルが好きだった流れもあり、主人公のラグナを使ってみました。
すると、
・昇龍があり、当たればコンボができる
・ゲージ技で切り返しができる
・なんか攻撃当ててるだけでも楽しい
・システムボイスがかっこいい
などなどの理由から、速攻ドハマリ。
夢で見た光景をどこかでダブらせつつ、蒼に没頭する日々がスタートしたわけです。

ここまで来て、未だにゼクスのゼの字も出てきませんが、あまりにも長いことに気づいたので次の記事で記載します。
いやまじで、本当にこれノンフィクションです。
あの夢を見なかったらこんな記事は書かなかったでしょうし、おそらく皆さんとの出会いもない人生を送っていたかもしれません。

そんな鳴海がゼクスを名乗るようになる回はまた次回にて。






2023年6月19日月曜日

【ニュース】中学生でeスポーツ選手!? 驚き&高校進学による引退記事を見かけたのでピックアップ

【情報掲載日時】
・6/15(木)
レバンガ☆SAPPORO公式HPより抜粋

【レバンガ☆SAPPRO ぷよぷよ部門 かぴ選手 退団と引退のお知らせ】
掲題の通りですが、ぷよぷよ部門選手退団のお知らせをHPで拝見いたしました。
年齢を見てビックリしたので記事化いたしますが、なんとこちらのかぴ選手、中学2年生で入団していたという恐るべき実力。

eスポーツと言えども中学2年生で代表や実績を残すのは相当なレベルのはず。
ぶっちゃけ、中学2年生の頃とか階段積み(ぷよぷよにおける連鎖の積み方のこと)すらろくにできなかった鳴海と比較になるはずもないのに引き合いに出しちゃいましたが、どんだけ英才教育だったんだろう……と思ってしまう程です。

大人がめちゃ強い印象もありますが、そんなことはねぇよと言わんばかりの活躍ぶり。

主な戦績↓(ニュースページから掲載)
2022年
・全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2021 TOCHIGI 『ぷよぷよeスポーツ』一般の部 3位

2021年
・北海道eスポーツ協会CUP 優勝
・全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2021 MIE ぷよぷよ部門北海道ブロック優勝 北海道代表

2020年
・全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2020 KAGOSHIMA 『ぷよぷよeスポーツ』北海道東北ブロック代表

2019年
・全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019 IBARAKI 『ぷよぷよeスポーツ』 小学生の部 準優勝
・ぷよぷよeスポーツ 全道王者決定戦 優勝

すげー(凡庸すぎるコメント)。
大会はどんなタイトルでも熱くなれると思ったりする鳴海なので、こういった年齢が若い選手でもバリバリ活躍できるフィールドが北海道でできるといいなぁと思いつつご紹介させていただきました。

これからも北海道で活躍するチーム、選手を応援していきたい所存です。

 



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